【キングダム】慶舎の最後は戦で死亡!しかし史実では生きている?

キングダムでは、魅力的な武将が次々と登場しますが、戦死する武将もたくさんいますよね。

趙の慶舎(けいしゃ)もその一人です。
 
 
「沈黙の狩人」と言われていたほど恐れられていた慶舎がなぜ戦死してしまったのか?

それは、常に罠を仕掛ける側だった慶舎が逆に罠を仕掛けられてしまったからです。
 
 
今回は「慶舎の最後は戦で死亡!しかし史実では生きている?」というテーマで、慶舎の最後の戦いを振り返りたいと思います。

また、史実との違いについても検証します!

【キングダム】慶舎の最後の戦は?


出典:https://bibi-star.jp/

慶舎の最後の戦は黒羊丘(こくようきゅう)を秦の侵略から守る戦いです。

趙の総大将は慶舎、秦の総大将は桓騎(かんき)でした。
 
 
初戦は、敵の前線を突破した桓騎軍を勢いづかせて、桓騎軍の後列を奇襲し隊を分断させることに成功した慶舎の圧勝でした。

しかし、桓騎もやられっぱなしで黙っている性格ではないですよね。

桓騎は慶舎が得意とする「待ち」の戦法をやり返す形で慶舎を窮地に追い込んだのです。
 
 
黒羊丘の戦いは、いわば丘取り合戦。

秦軍にしてみれば、一番大きい中央丘を取れるかどうかが戦局を大きく左右します。
 
 
中央丘の趙軍に相対するのは黒桜軍、趙軍の足元には飛信隊が布陣し、秦軍にとってはかなり有利な戦況。

中央丘の頂上で戦局をうかがっていた慶舎は、「来い桓騎」「早くお前の匂いをかがせろ」と不気味な笑みを浮かべていました。


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両軍が桓騎からの号令を今か今かと待っている状態でしたが、驚くことに桓騎は全く動かずその日を終えました。
 
 
次の日も背を打たれ苦戦を強いられる飛信隊をよそに、桓騎軍は動く気配を見せませんでした。
 
 
しびれを切らした慶舎は「おのれ・・・意地でも私に動きを捕捉させぬつもりか」と激怒。

その怒りは慶舎の馬がゾッとして暴れるほど!


出典:http://www.saikyo-jump.com/

慶舎は怒りに任せて自ら飛信隊を狩りに行く決意をします。

前方から急襲した慶舎軍は飛信隊を分断させ窮地に追い込みました。
 
 
しかし、直後に慶舎はピンチを迎えることになります。

丘の下で飛信隊と交戦する慶舎に、丘の中腹から桓騎軍のゼノウ一家が襲い掛かったのです。


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素早く反応し離脱した慶舎を飛信隊が追いかけます。

そこで慶舎と信の一騎打ちが始まり、慶舎が見た目からは想像もつかないほどの武力を信に見せつけました。

互角の戦いを続ける二人でしたが、最後は慶舎が信に討たれて死亡してしまいます。

【キングダム】慶舎が戦で死亡した原因は?


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趙三大天の最後の一席に最も近いと言われていたはずの慶舎がなぜ戦で死亡してしまったのか?

それはいくつかの慶舎の誤算によるものだと推測します。

慶舎の誤算1 桓騎の罠に嵌められた


出典:https://masaru-tomoyume.hatenablog.com/

「沈黙の狩人」と言われている慶舎が得意とする戦術は「待ち」の戦術です。

からみつくような罠をしかけ獲物が飛び込んでくるのを待つ蜘蛛のような恐ろしい戦術。

この方法で、今まで数々の敵を葬ってきたことでしょう。
 
 
実際に、本能型で勘の鋭い麃公も慶舎の罠にかかって苦戦を強いられました。

黒羊丘の初戦も桓騎軍を罠に嵌めて圧勝していましたよね。
 
 
しかし、初戦以降は桓騎が全く動かなかったため、慶舎の方がしびれを切らして自ら動いてしまいました。

これが、慶舎が戦で死亡した決定的な原因です。
 
 
李牧曰く、「慶舎が自ら張り巡らせたアミの外に出てしまったときは、慶舎と言えど討たれる恐れがある」と。

まさに李牧の予言通りになってしまったわけです。

慶舎の誤算2 信に対しての油断とおごり


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慶舎は信を脅威に感じている李牧とともに、信の成長を注視していました。

実際に戦うまでは、当然自分の方が格上だと確信していたことでしょう。
 
 
しかし、実際に剣を交えた信の武力は慶舎の想定を超えていたようです。

慶舎が戦で死亡した二つ目の原因は、信の成長スピードを見誤ったことです。
 
 
もし、慶舎が信を脅威に感じていたならば、自ら飛信隊を討ちに出ていかなかったかもしれませんね。

【キングダム】慶舎は史実では生きている?


出典:https://archive.mensnonno.jp/

慶舎は李牧に恩を返し切れなかったことを無念に思いながら息絶えました。

李牧への恩というのは、幼少期に親を殺されて孤独だった慶舎を李牧が引き取ったからです。
 
 
子供の頃から軍略大会で、「待ち」を使った戦術で大人を負かしていた慶舎ですが、李牧の弟子にまでも圧勝しています。

このように幼少期から天才的な頭脳を持っていた武将が、史実では存在していたのかどうか気になりますよね。
 
 
黒羊丘の戦いで戦死してしまった慶舎ですが、史実ではどうなのか?

黒羊丘の戦い後も生きていたのか?

また、生きていたとすればどのような功績を残しているのかを見ていきましょう。
 
 
慶舎が史実に記されているのは、史記趙世家にわずか2行だけです。

史記趙世家より
趙孝成王10年:趙將樂乘、慶舍攻秦信梁軍,破之
趙悼襄王5年:慶舍將東陽河外師,守河梁
しかし、慶舎が実在した人物であったことは間違いないようです。

では、どのような功績を収めたのか?
 
 
一つ目は、孝成王10年(紀元前256年)に楽乗と共に秦の信梁軍を破っています。

信梁とは、秦の六代将軍の一人である王齕と同一人物という説もあるので、六代将軍の一人を破っていたとすると、慶舎はかなり優れた将軍だったと言えますね。
 
 
その後16年間は、史実に慶舎が登場することはありません。
 
 
二つ目は、悼襄王5年(紀元前240年)に東陽と河外の地の兵を率いて、黄河の橋を守ったと史実に記されています。

前年の紀元前241年は、趙・楚・魏・燕・韓の合従軍が秦を攻撃し、あの有名な函谷関(かんこくかん)の戦いがあった年です。
 
 
キングダムの作中でも慶舎は趙軍の副将として活躍していましたよね。

史実ではそういった記述はないですが、合従軍が解散された後、秦の侵攻に備えて黄河の橋を守る任務を任されたのが慶舎なので、慶舎が優秀な武将だったことは間違いないと思われます。
 
 
しかし、この記述を最後に慶舎の記録は途絶えてしまいます。

キングダム作中で慶舎が死亡した黒羊丘の戦いも、実は史実にはない戦いなので、実在した慶舎がその後いつまで生きていたのかを知る術はありません。

しかし、実在の慶舎が優秀な将軍であったことは確かなので、趙が滅亡するまで必死に戦っていたのではないかと思います。

まとめ


出典:https://bibi-star.jp/

慶舎が戦で死亡した原因は、桓騎の罠に嵌ったことや信の成長を見誤ったことにあります。

また、史実に記されている功績から、実在した慶舎が優秀な将軍だったことも分かりました。
 
 
李牧に恩を返せなかったことを無念に思いながら息絶えた慶舎の最後は、もの悲しく感じましたが、魅力的な武将が登場しては消えていく、それが漫画キングダムの醍醐味でもありますよね。

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