【キングダム】李信の最後は虐殺で死亡?史実での今後や結末について

天下の大将軍を目指す信は趙の鄴(ぎょう)攻めの後、李信と名を改め遂に将軍となりました。
 
 
その李信将軍は、史実で記載がある実在の人物ですが、李信の最後は虐殺で死亡したのではないかとの説があります。

キングダムでも、信が虐殺されるような最後が描かれるのでしょうか?
 
 
そこで今回は、李信の史実での今後や結末について解説していきたいと思います。

【キングダム】史実での李信とは


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李信が史実に初めて登場するのは、紀元前229年~228年に趙を攻めた戦です。
 
 
若くて勇壮な性格だったと記載されていて、作中の信と同じような人物だったようです。

また、キングダムでは信と政の信頼関係が描かれていますが、史実でも李信は始皇帝から厚い信頼を得ていました。
 
 
さらには作中で描かれているように、王賁(おうほん)や蒙恬(もうてん)と共に戦場に赴いています。

3人は史実でも良きライバルとして、切磋琢磨していたのではないでしょうか。

【キングダム】史実での李信の今後は?


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鄴を制圧した後、将軍となった信。

今後さらなる活躍が期待されますが、史実でそれ以降の李信の働きはどうなっているのでしょうか?

鄴制圧後から順に解説していきます。

紀元前236年~228年|韓・趙滅亡

 
 
鄴を制圧した秦は、その後紀元前228年まで趙と戦を繰り広げます。

そして王翦(おうせん)軍によって李牧(りぼく)が殺され、趙を滅ぼすのです。
 
 
さらに趙と戦中の紀元前230年には、内史騰(ないしとう)が韓を滅ぼしています。

李信は趙攻めの紀元前229年~228年に、趙の太原(たいげん)・雲中(うんちゅう)に出征したと記載されています。

紀元前226年|燕の太子丹(たいしたん)を捕える

 
 
紀元前227年、燕の太子丹が始皇帝の暗殺を企てます。

暗殺は失敗し、それに怒った始皇帝が王翦と王賁に燕を攻めさせました。

李信は敗走する燕軍を追撃し、太子丹を捕虜として捕らえました。
 
 
この次の年の紀元前225年に秦は、魏を滅ぼしています。

紀元前225年|楚を攻めるも大敗

 
 
李信は蒙恬と共に、楚を侵攻しました。

しかし楚軍からの奇襲を受け、壊滅したとされています。

その後、李信と交代した王翦と蒙武(もうぶ)が指揮を執り、楚を滅ぼしました。

このとき李信は兵が20万必要だと申し出ましたが、王翦は60万だと言い、李信の案が採用されました。

そして20万の兵を率いた李信は敗北、60万を率いた王翦が勝利するという皮肉な結果になってしまったのです。

紀元前222年~221年|燕・斉滅亡

 
 
李信は紀元前222年に、王賁と共に燕を攻め、滅亡させます。

そして次の年には王賁、蒙恬と斉に攻め入り滅ぼしました。

これで中華統一が成し遂げられたのです。

【キングダム】李信の最後は虐殺で死亡?


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史実では、李信がどのように死亡したのかは記されていません。

李信のことは紀元前221年に斉を滅ぼして中華統一したことを最後に、何も記載されていないのです。
 
 
中華統一の11年後に始皇帝は死亡し、宦官だった趙高(ちょうこう)が実質の政権を握っています。

趙高は自分の権力のために、始皇帝の子供たちを殺すなどの暴挙を行いました。

さらに、作中でもおなじみの蒙恬や蒙毅(もうき)も殺されているのです。

2人と同様に始皇帝に仕えていた李信も、このときに殺された可能性があります。
 
 
そして蒙恬が殺された方法は、自ら毒を飲ませ自殺させられたと記載されています。

このことから、李信を殺した方法も虐殺のような残虐なものだったと考えられます。

まとめ


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李信の史実での、今後や結末を解説してきました。

最後は虐殺で死亡したとも考えられますが、正確な記載がないので病死や戦死の可能性ももちろんあります。
 
 
キングダムの信の最後は、どのように描かれるのか気になるところですね。

物語の結末が中華統一したときなのか、統一後も描かれるのかでも変わってくるでしょう。
 
 
しかし鄴攻め以降、李信は多くの手柄を立てており、今後も活躍することは間違いありません。

そして中華統一に向けて、キングダムはさらに大きな盛り上がりを見せるはずです。

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