【キングダム】趙の悼襄王(とうじょうおう)の最後とは?死因は毒殺?

キングダムに登場する国々の王は、秦王・政(せい)のようにかっこ良くて魅力的な王だとは限りません。

趙の王である悼襄王(とうじょうおう)は、暗君として描かれました。

 
傲慢な性格で国のことを全く考えない言動は、嫌なイメージしか残ってませんよね!

悼襄王の最後はとても悲惨な死に方をしたことで、印象に残っている読者も多いのではないでしょうか?

今回は、そんな悼襄王の死因は毒殺なのか考察していきたいと思います。

【キングダム】趙の悼襄王(とうじょうおう)とは?


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悼襄王は、キングダム作中幾度となく秦と戦いを繰り返してきた趙の王として登場します。

美少年が好き

キングダムに初登場したシーンは、悼襄王が美少年と一緒に風呂に入っているシーンでした。


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沢山の美少年とともに風呂に浸かっているシーンは奇妙な光景ですね。

そういえば、17巻でも春平君という美少年を寵愛しているという事が言及されていましたね。

趙の国民のことは何も考えていない

「後の事など知った事か!」という発言からもわかる通り、悼襄王は趙の国民のことは何も考えていません。


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悼襄王の性格がよく表れているシーンですね。

病気がち

悼襄王は、病気がちで体が弱いことから、自分の寿命は一般人に比べて短いと考えているようです。


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もしかしたら、国民のことを考えない傲慢な性格も寿命が短いと思っているためなのかもしれませんね。

【キングダム】死因は毒殺?悼襄王(とうじょうおう)の最後とは?


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悼襄王は、キングダム原作の644話で死亡します。

悼襄王の最後

悼襄王は、いつものように美少年たちと風呂に入っていました。


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「自分のことを誰も理解してくれない」といった愚痴をこぼしながら、少年たちが注いだ酒を飲む悼襄王。

その直後、胸に痛みを感じ風呂から出ようとするも、口とおしりから血を吹きだし
そのままこと切れてしまいました。


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死因が何なのかは言及されていない

悼襄王の最後のシーンを見ると、悼襄王の死因は毒殺のように見えます。

少年が注いだ酒に毒が入っていたと考えるのが自然ですね。

しかし、作中に毒殺であった事が確定する記述はありません。

 
「病気がち」という設定があることも考慮すると、病気が急激に悪化し風呂場で死んだという可能性も否定できません。

今後のストーリーで悼襄王の死因が何なのか明かされることを期待しましょう。

【キングダム】毒殺の場合の犯人候補は?


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悼襄王が毒殺によって暗殺されたと仮定した場合、実行犯は酒を注いだ少年になります。

一緒に風呂に入っていた少年に、指示を出していた人物が真犯人と考えられます。

犯人候補1
嘉太子

悼襄王が最後を迎えた日は、王翦(おうせん)に惨敗し鄴(ぎょう)を守れなかった李牧(りぼく)が処刑される前日でした。

嘉太子は、李牧の処刑をやめるよう悼襄王に意見を述べたのですが、聞き入れられませんでした。

 
李牧の命を助ける目的で、嘉太子が悼襄王を暗殺した可能性はあり得ると考えられます。

犯人候補2
遷太子

悼襄王の末子に当たる遷太子は、死亡した悼襄王の遺言によって王となった人物です。

史実では、暗君されていることから、遷太子も犯人候補に入ってきます。

 
自身への王位継承を早めるために悼襄王を暗殺した可能性も十分に考えられますね。

犯人候補3
李牧一派

李牧が処刑される事が決まっていたため、当然李牧一派は犯人候補の筆頭ですね。

李牧一派は、趙国に対する忠誠心はあまり感じられず、李牧個人を信奉しているような見受けられます。

 
特に、登場以後、李牧一派内で幅を利かせている舜水樹(しゅんすいじゅ)は、


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といったように、かなりの危険人物であると考えられます。

悼襄王の最後が暗殺だった場合、李牧一派が絡んでいる可能性は極めて高いと推測できますね。

【キングダム】傲慢で愚かだけど同情できるところもある!


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悲惨な最後を遂げてしまった悼襄王ですが、王としての手腕はどのようなものだったのか振り返ります。

作中では、鄴を取られたのは、悼襄王が趙の都・邯鄲(かんたん)の軍を出陣させなかったからということにされています。

 
しかし悼襄王は、鄴を守る戦いに十分な兵力を李牧に与えています。

秦軍が、趙国の王都圏の国門・列尾(れつび)に向けて進軍を開始したときの悼襄王の判断を見てみましょう。


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とてもまっとうな指示を出していますね。

秦軍の列尾への侵攻を許してしまったのは、李牧が秦の情報工作に翻弄され、対応が後手にまわったのが大きな理由です。

 
さらに、李牧は列尾をあえて防御力が弱い城としてつくっていました。

その理由は、

「秦が趙を攻めるなら、秦軍を奥まで誘い込んで痛み分けになってでも消耗戦に持ち込む。秦の主力が趙の奥深くに入り込めば、楚の媧燐が必ず秦に攻め込んで咸陽まで落とす。」

と、李牧が考えていたからです。

 
李牧は思惑通りに秦軍を誘いこみましたが、秦軍の王翦に完敗し、多数の有能な趙将を討ち死にさせ、鄴を秦にとられました。

結果的に、列尾をあえて防御力が弱い城として作ったことは完全に失敗だったことになります。

 
鄴での戦いの大きな敗因は、李牧に因るところが大きいにもかかわらず、悼襄王が悪いことにされてしまったら、ちょっとかわいそうな気がしますね。

まとめ


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悼襄王の死因は毒殺なのか考察しました。

死因はまだ言及されていませんが、悼襄王を毒殺する動機がある人物は多数います。

特に李牧一派は、悼襄王を暗殺した犯人である可能性が高いのではないでしょうか。

 
鄴での戦いの大きな敗因である李牧を処刑することは当然であり、李牧を処刑させないために毒殺されてしまったのであれば、暗君だったとは言え、ちょっとかわいそうですよね。

もしかしたら、悼襄王が暗君である最も大きな理由は、李牧を重用してしまったことなのかもしれませんね。

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